「子ども、来ても来なくてもしあわせ」
「子ども、増えても増えなくてもしあわせ」
頭ではそうわかっていたけど、
本当に心からそう思えるまで本当に4年かかった😂
子ども、来ても来なくてもまじで不安😨だった😂
当時のことはYouTubeで詳しく喋ってます🤣
あと妊活の一環として環境問題の発信はがんばった‼️お金より学より何より地球遺さねばと‼️
お互いの違いをリスペクトできるようになることが
親子関係のゴール
「あなたはそうなのね、ぼくはこうなんだ」
親から期待される事柄ほど伸びないものだ。
でも、人はそのことを受け入れられない。
「その事柄」に固執してしまったまま
多くは人生を棒にふって終えてしまう。
本当にその人の魂がひらき、輝く事柄は
親の反感を買い、引き止められ、
一生理解されることがないものである。
そういう生き方をしているひとは、
自分を生きている。
人類で最も偉大な仕事をしているという自負がある。
普通の仕事というものは、
上手くものごとを運ぶことができれば
自分はすごいと、自分はできると
思うこともできるものだが
母親業は、じょうずにできるひとが、いないのだ。!!
それがこの仕事の偉大さを物語っていると思う。
息子、生きてる。
リサ、生きてる。
OK!!!以上!!!!
何かが極端にできない人は、
何かが極端にできる人
メディアは変わらない。
なぜなら、オーナーがオーナーだからです。
病気が無くなったら生きていけなくなると思っている人
戦争が無くなったら生きていけなくなると思っている人
人身売買や女性虐待が無くなったら生きていけなくなると思っている人、たちが、本当にいます。
本当にお願いなので、戦争についてのニュースだけは、「メディアが言っていることの逆」を信じてください。
世界から戦争が無くなったら困ってしまう人たちがいて、彼らがコマーシャルを打っています。
エリートとは、
「なんでも満遍なくできる人」のことです。
そういう個性の持ち主。ということ。
優等生というのは
実はすごい劣等感と復讐心の
持ち主であったりもする。
彼らは子供時代をすべて投げ打って努力してきているから。
戦争を始めるのはきまってエリートのひとたちです。
本当に徳のある、頭がよくて、やさしい人格者であれば、よそとは仲良くします。
つまり、エリートと、人格者とは、違うということになります。人格者とエリートを兼ねる人ももちろんいらっしゃる!ことは知ってはいますが
構造上、エリートになるには、熾烈な椅子取りゲームを制する必要があるので、頭が良くてなおかつ、他の人がどうなってもそんなこと知らない、自分が安全なポジションを確保できれば他の人のことは知らない。そういう狡賢さ(ずるかしこさ)も備えさせられることになります。
でもエリートになる動機は極めて純粋なものなのです。それは、「お母さんを幸せにするため」。🥲
お母さんたちの熾烈なレースはもう始まっている。
生後2〜3か月、赤ちゃんの個性が表れはじめる頃から。
(幸せになってほしいためという名目で)
子どもをヒエラルキーの少しでも上のところに
置くために、がんばるのだ。
私はというと、子どもを、ヒエラルキーの外に
置かれても生きていける人になれるように、
育てられたら、というイメージを持っている。
つまり、この地上からこれから、
「お金」や「組織」という概念が崩壊し無くなったとしても
柔らかく生きていける人、
がこれから生きやすいのではないかと描いている。
月に何十万稼げるかということより
ふきみそを作れるか、とか
自分以外の人の価値を認められるか、とか
そういうことだと思ってるんです。